Blog

12月30日、家の傷んでいたウッドデッキを完全撤去。

今まであったウッドデッキが、、、でもまた形変えて作るからね(^^(

廃材は釘など残っている部分を切り落とし、
再利用できるものはストック、
腐ってる部分は薪ストーブに収まるサイズに刻む。

捨てるものはない、
薪も最後は灰になって畑に撒く。
おがくずは微生物の餌になるし、
切りカスは畑にすき込めばこれまた微生物が分解するために集まってきて、
土をよくし、作物を育てる。

薪は家外壁の北側と東側に沿わして作ってある薪棚に何度も運んで往復し、
遂に棚がいっぱいに。
積むにも頭を使いコツがいる。
薪同士を密着させると乾きづらく雨が染みたら痛みやすい、
だから少しずつ隙間を開け、とはいえ開けすぎると棚に積める量が減る。
手前が斜め下に傾きながら積むと崩れやすい、
なんてなんて。

再利用できる材もそれなりの量、ストックを整理して収める。

解体して、刻んで、運んで、積んで、古いストックを整理して、のサイクル。
一つの作業は途方に暮れるから、違うサイクルの作業をする、
の繰り返しで遂に事が為されて、完遂して、
「あぁ楽しかった、よく働いたな」と充実感。
太陽・風・土・道具とまみれる清々しさ。
日が暮れて暗くなる前に片付けまで区切りよく終わらせるリズム。
後のメシの美味さと風呂の気持ち良さ。

そんな一日を昼飯も取らずに夢中で作業していて思う。

昔話で出てくる「働き者」と現代のそれって違うな。
暮らしに直接必要なもののために体と頭と時間を使う。
お金が生まれるわけでも給料出るわけでもない。
敢えて言えば出費が減るための労働でしかない。

繰り返すが、
生きるための暮らしに必要な仕事、
例えば採取・農作業・縄編み・柴刈り(山や森で落ちている枯れ枝を拾い集めること)・
薪割り・火起こし・調理・風呂沸かし・片付けなどで
朝から晩まで労することが「働き者」だったはず。
それらを自分でしない時代になって久しい。

お金で暮らしの必要を得るために給料を貰う仕事に労する。
それって自分の暮らしに直接関係ない余計なもの作ったりサービスに労すること、
よく考えると面白くないものが多い。
給料もらうための「働き者」だって存在するが、
なんだか真の「働き者」と意味が違うんじゃないかな。

いつから人はちょっと違う「働き者」になってしまったのだろう、
まさにブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事の意)。
必要ないものを過分に作り、売る。

それがこの世の中の元凶。

あぁ、年の瀬の昨日はよく働いた、しかしお金はいっさい生まれてない。
でも働き者だな、と自分を労い、働くっていいなって思えるいい1日だった。

いろんな工程に従事しては途方に暮れると違う工程へ。総じて面白い。

【 古民家農泊Re 天井リノベと漆喰壁作りワークショップ 】
        https://x.gd/G0Mz2
・ 1.27(土) & 28(日)キッチン上の天井壊し&天井作り直しWS
・ 2.10(土) & 11(日) キッチン上の天井作り&壁作り(漆喰)WS

コメントは利用できません。