先日、ジェフベックが亡くなった。
大・大・大好きなギタリストだった。
80年代後半だったと思う、
ジェフベックとサンタナとスティーブルカサーの
軽井沢での大観客を前にするセッションライブをテレビで見て、
ぶったまげた。
ルカサーがいくらすごいプレイしても、
ジェフベックとサンタナの足元にも及ばない。
(ちなみにこのセッションでドラムのサイモン・フィリップスも凄い!)
全編を見たい方は1時間強、以下を!
ジェクベックのギターは一音だけでわかる。
そして次の瞬間に想像つかないフレーズが飛び出して裏切られてド肝を抜かれる。
同じプレイをしない。
そして何より、ステージで楽しそうだ!
いたずら心満載で、
バンドメンバーやセッションメンバーのプレイを存分に微笑んで愉しみ、驚いている。
そういうところ、俺が講演や対談に呼ばれたとき、
セッションの気分で相手や参加者とのアドリブを楽しむのも、
確実に影響を受けている。
俺の人生を豊かにしてくれたNo.1エリック・クラプトンも
ジェフと一緒にセッションするときだけは、
いつもより気迫迫るプレイになる。
それだけジェフに刺激を受けるからだろう。
横浜アリーナの3列目でジェフのライブを見たことがある。
フィンガーピッキングでアームを駆使し、
こりゃ、誰も真似できないとつくづく思った。
アリーナで3人だけトリオ演奏なのに、
音がデカくて超迫力。
かっこよかった。
最近は女性の若手ベースやドラムをバンドメンバーにしている様子も、
なんだかジェンダーの視点から粋だった。
名盤『Blow By Blow』を何度も聴いてる。
Air Blower ~ Scatterbrain ~ Cause We’ve Ended As Lovers(邦題:悲しみの恋人たち)の
3曲の流れは凄まじい、スリリングの極み!
野口五郎が朝日新聞でジェフの追悼記事を書いていて、
俺の想いに沿っていたので記す。
「ジミー・ペイジ、エリック・クラプトンと共にロック界の3大ギタリストとして人気を博し、
クラプトンとは日本でも2009年の公演で競演しました。
途中で2人はギターソロを交互に弾き合うのですが、
激しいギターソロを抑えていた時代もあったクラプトンが、
あれほど手数多く弾きまくるのを数十年ぶりに見ました。
クラプトンにそこまで意識させる存在なんだ、と思いました。
でも、ベックはいつも通り。
さほど意識せずすっと自分の世界に入って、
一発の音で表現しちゃう」
「ピックを使わず指で弾くのも、
弾きながらギターのボディーにあるつまみで音量を微調整していくのもまねできない。
そして、音を揺らすためのトレモロアームだけで巧みに音色を変化させながら演奏する
”オーバー・ザ・レインボー”なんて、
もうウソでしょう?というレベル。
いくらまねしようとしても、
彼の世界が完全に作られてしまっていて、
誰がやってもそこには絶対に届かない」
「彼の前にジャンルの壁はなくエレキギターという楽器の可能性をメチャクチャ開拓した。
あらゆる音楽を知った状態で、ギターで何ができるのか。
その探求は死ぬまで続いた」
「いつも演奏を超えて”思い”があふれ出ていた。
”ギターが泣く”とはよく使われる表現で、
クラプトンも、カルロス・サンタナもそう。
でも彼のギターは泣くだけじゃない。
怒ることも喜ぶこともできた。
無機質なはずの楽器と指だけで、
喜怒哀楽のすべてを表していた」