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尊敬する山形のお百姓の菅野芳秀さん。

菅野さんが俺のBarに来てくれたのは2005年頃だったと思う。
その手の厚さに驚いた。
田んぼで草取りして働いてきた手。
それだけ見て感銘した。

ご本人は自らのことを「相撲取りみたいでしょ」と屈託なく笑う。
すごく穏やかで優しい眼差し。
しかし学生運動で逮捕歴もある菅野さんには
この社会のあり方に怒りをもちづづけ、
それをバイタリティーに変えて地域を変革してきた歴史がある。

レインボープラン、置賜自給圏、その他、大きなことを成し遂げてこられた。


時を経て2回目に会ったのが2012年。
東京駅八重洲ブックセンターの2階のカフェで。

俺にとってはアクティビストの大先輩たる数人で集まり、
この国の道を定めるとしたら何か?という与えられた問いに、
菅野さんともう一人と私が同時に
「国民皆農」と言った。

あれには驚いた。

と同時に、自分の考えが間違いないことに安堵した。

農業は危機の危機、これを解決しない国及び世界だとしたら、
各地各人が農的暮らしへ移行することで、
先行者が幸せを享受し、
それを拡散しながら、
世直しとしてゆく。

菅野さんが最近書かれたFBの投稿で、
甥っ子さんとの会話からのお話を転載させて頂く。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「おじちゃん、お米作っても利益が全くでない、
   やっていけないというけれど、どうしてやめないの?
      やめれば良いだけのことだべ?」

俺の甥が聞いてきた。

 話したところで、お前たちの世代に分かってもらえるかなあ。
でも、話してみっかな。
俺の場合はだよ。それはな・・・

 田んぼはあくまで田んぼなのだが、そこで働いていると、
そこには父母の、そのまた父母の、そのまた・・と、
米作りに関わって来た祖先の累々たる労働や時間、
それに込めた思いなどの蓄積が見えてくる。

そんな先達のタスキを受け取ることを決めた者にとって、
田んぼは、単なる田んぼではなく、そこに残された両親を含む、
祖先たちの願いの総和を受け取るということなんだ。
百姓を生きることは、そんなタスキと共に生きること。
だからな、稲作の収支が合うかどうかで、
やめるの、やめないのという話ではないんだよ。


 そんな日本中の沢山の「タスキ」のおかげで、
コメの暴落の中でも、全国の水田は緑なのだ。
ま、農政は百姓のそんな思いに応えようとは全くしてないけどな。

 だけど、ここまで来ればそれももう終わりかな。
「農終い」の声があっちこっちから聞こえてくる。

 ある意味、もう俺たちの知ったこっちゃない。
国も頼りにはならないだろうから、
後は生産者、消費者問わず、
一人一人が自分(達)の問題、自分(達)の生存の問題、いのちの問題として、
食い物を手にする道を探る事。

自分たちで創る事を含め、
そこから始まる関係を大事にすることだよ。
その先があるとすれば、まずそこからだろうな。

俺の言ってることは分かってもらえるかな?

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7月11日(木)10:00〜@神奈川県葉山
(オンライン & 後日動画視聴可能)
『これからの未来、どうなる
   〜 親としての軸を持つために』

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