安倍派の醜態を見事に言い表す青木理さんの記事から部分抜粋、
髙坂も全くに同じ想いである。
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検察や警察といった捜査機関に巣くう問題点を取材し、警鐘を鳴らしてきた。この国の検察を中心とする刑事司法は数々の悪弊を抱えていて、密室での取り調べであるとか「人質司法」、あるいは死刑制度などもそうですが、旧態依然としたそのありように多くのゆがみ。
他方で思い出されるのは2020年に起きた出来事。「1強」を謳歌していた安倍政権が、当時の東京高検検事長の定年を延長して検察トップの検事総長に就け、検察までを掌握しようとした。これには世論も強く反発。最終的には検事長の「賭けマージャン」問題を週刊文春にすっぱ抜かれ、政権が狙った人事は頓挫、あの時に政権の思惑が成就していたらどうなっていたか。
ひょっとすると、与党巨大派閥による今回のパーティー券問題に検察が踏み込もうとはしなかったかもしれない。とすれば、政権が狙った横紙破りの検察トップ人事が頓挫したのは大きかった。ここから導き出される教訓は重要。権力は過度に集中させず、それぞれが問題点を抱えていたとしても相互に監視し合う、チェックさせ合う機能の必要性と重要性。
うがった見方をすれば、自身の派閥が組織ぐるみでこうした不正に手を染めていたからこそ、「1強」政権は政治権力にとって厄介な存在である検察まで掌握しようと狙ったのではないか、そう思われても仕方ない。
だとすれば、政治権力から一定の距離を保って政治権力を監視する、検察のような組織の独立性は極めて重要です。同じようなことは司法にも、日銀や内閣法制局などにも当てはまるでしょうし、ましてや学術界やメディアは一層そうだ。なのにその独立性を次々となぎ倒そうとしてきたのが「1強」政権だったことにも思いを致すべき。
政権や政権周辺の者たちは奢(おご)り、放埒(ほうらつ)に振る舞い、逆に政治権力をチェックして監視する役割を担う者たちに萎縮ムードが広がり、おかしいことを「おかしい」と言えないようにしてしまう。「忖度(そんたく)」という言葉に象徴される霞が関官僚の惨状も同様。しかし、「1強」政権下で幹部官僚人事まで官邸に直接握られ、財務省では公文書改竄(かいざん)という論外の所業が引き起こされ、最近裁判で国側の敗訴が相次いでいる生活保護費の減額問題だって、「1強」政権の無茶な要求に官僚がひれ伏した結果として起きた面が大きい。
しかも政権の政策の問題点を指摘したり、諫言したりした官僚は徹底して冷や飯を食わされ、官僚側から生き生きとした政策提案が出るような雰囲気もなくなった。さらには司法や検察、さらにはメディアや学術界といった、時の政治権力から独立して意見を表明し、政治権力への批判も含めたチェック機能を果たす役割を担う者たちを強権や恫喝(どうかつ)で潰そうとしてきた。
その「1強」政権の中枢で、半ば堂々と組織的な裏金作りをしていた疑いが、いま持たれている。つまり権力は腐る、強権的な政治権力はその危険性が一層強いのだ。
この国の現状を見渡せば、社会保障などさまざまな分野で持続可能性が疑われ、将来像が見えない状況。国の財政は1千兆円を超える借金を抱え、格差は広がり、一部の富裕層を除けば、人びとは誰もが不安と焦燥にさいなまれている。だから老後を考えて貯金。子どもも産まない、産めない。企業も内部留保をため込んで投資せず、新しいイノベーションも起きない。縮んでいく一方の状況下、本来なら政治のありようがいまほど問われている時。
なのに政治に志がなく、「小悪の群れ」が右往左往するだけ。しかも野党に希望も見いだせない。新しいビジョンを政治が指し示すべき時代、与党はこの体たらくで野党からもそういう芽が出てこない。
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以下記事より抜粋
https://digital.asahi.com/articles/ASRDB67BQRDBUTIL008.html?iref=pc_photo_gallery_bottom