Organic Bar【 たまにはTSUKIでも眺めましょ 】に通って下さり、
SOSA PROJECT で米作りもした山田夫妻、
その後、山梨の都留に二拠点居住を始めて、、、、、
もう随分前だけど、
そして来週12日、「人生の楽園」に出演、
すごい見たい!
でもテレビないから見れない(๑˃̵ᴗ˂̵)
今日は8月6日だった。
原爆投下の約1カ月前。
学校と軍、広島県、広島市の関係者が県庁の会議室に集まっていた。
議論は紛糾する。都市への空襲が相次ぐ中、
一日も早く密集家屋を倒壊疎開し、
空襲の火災防止に万全を期せねばならない緊急事態で、
中学1、2年生を建物解体に出動させるかどうか。
中将は、いらだち、左手の軍刀で床をたたき、
作戦遂行上、学徒の出動は必至である、
と議長に決断を迫った。
こうして8千人が8月6日の朝に広島中心部に集められていた。
そこにアレが落ちたのだ。
今朝の新聞より要約。
昨夜のメルマガ冒頭、こう書いた。
〜〜〜
この時期、
6.23 沖縄慰霊の日、8.6 広島原爆、8.9 長崎原爆、8.15 終戦、
と暑い夏の青い空のもとで記憶を更新してゆく。
母と、祖母と、空襲を生き延びた。
祖父は満州やフィリピンのジャングルを生き抜いた。
子守唄のように、戦争体験の現実を
何度も何度も繰り返し聞いて育った。
聞くのが好きだった。
絶対に同じ歴史を繰り返さない、
子どもながらにそう思いつづけて
今の活動がある。
経済至上主義の行き着くところは戦争だ。
だから、ローカルへ、人々を誘い、
食とエネルギーの地域自給を高めてゆく。
昨今の自民党が進めるきな臭さ、
俺は許し難い。
と、この時期の空を見ての清々しさと同時に、
あの世のじいちゃんとばあちゃんを思い出す。