https://digital.asahi.com/art…/ASQ8V6521Q8SULEI002.html…
朝日新聞で不登校に関して前編後編に分かれたいい記事、
同感だ。
インタビューを受けている五味太郎さんは、
「友達なんていらない」と。
俺も友達はいなくていいと思っている。
さて、記事から共感する箇所を抜粋する。
「コロナで授業も仕事もリモートでもいいという選択肢ができたのに、
戻そうという力が働く、不思議で、
なんでそんなに無駄でマイナスなエネルギーを使わされるのか」
「学校は出入り自由がいい」
「子ども自身が自分の人生を組み立てようとするのを認めない学校って、
一体何なんだろう」
「77年生きてるけど、友達なんて一人もいないよ。
気の合う知り合いはたくさんいる。
でも、友達というのをそう重要視していない。
むしろ、いらないとは思ってる」
「自分が信用できないということ、
人生でどっちに行くか迷うとき、
標識があるわけじゃないから、
自分で決めなければいけないし、
やばいと思ったら引き返すのは、
自分の判断でしかない。
子どもの頃から自分をゆっくり見つめられていないから、
なかなか大人になっても充足できない」
「自分を責め続けなくてはいけない元のプレッシャーが一体どこから来ているのか、
少し落ち着いて考えてみる必要がある。
そのプレッシャーの原因はほぼ、
学校や社会の側にあるはずだけれど、
その学校や社会は変わる気がないんだということに気づいた方がいい」
「楽になんかなれないよ人生って。
ミミズだって、ライオンだって、
生命を維持するのは大変なんだから、当たり前。
でも、選択肢を増やして、ムードとして楽にしてく。
そのためにはいろんなパターンがあるはずなのに、
この国にはなさすぎる」
「大人が介入する必要があるのは、
命にかかわる、それこそセーフティーネットっていう次元だけだと思うよ。
それ以外は余計なお世話」
「子どもだけじゃないが1人になりたい瞬間ってある。
自己発見とか自己探求とか自分の存在って何だろうとか私って何?とか、
自我にふと目覚める時がある。
そんな時に、何も言わないでちょっと待ってというモードになって、
じっとしてぼーっとして模索するための
インターバルのような時間と場所が必要なんだよ、
河原の土手でも、神社の境内でも、公園の木の下でもいい」
「学校という現場は能力アップということの一辺倒なので、
できるできないだけを問う」
「つらい現場に戻るのが嫌と思うなら、やめたほうがいい。
まあ、あえて、学校が嫌と感じた自分は、
センサーはある程度しっかりしているな、
人より先に悩み始めたなと自己認識するあたりでいい」