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昨晩、訃報が届いた。
 
ナマケモノ倶楽部の事務局である馬場直子さんからメールで、
菊谷倫彦さんが2ヶ月前に42歳で亡くなったという。
 
菊谷さんとの出会いは、
私が
ポレポレ東中野で上映されたある映画でステージトークした際、
終わった後に話しかけてきてくれた時だ。
まだ鮮明に覚えている。
 
 
菊谷さんはすでに脱サラしていたが、
その後、
ダウンシフトを決意して、
「菊谷文庫」という1人出版社を立ち上げた。
製本も家族で手作り、
限定販売に拘った。
 
「会社に壊されない生き方」というウェブニュースの連載に、
菊谷さんを紹介したり、
NHKの特報首都圏で「ダウンシフター」が制作された際にも、
菊谷さんを推薦させてもらった。
 
当時、
SOSA PROJECT の田んぼにも来てくれて、
米作りを経験し、
都内から川越の郊外に移住し、
田んぼや畑などしたり、
農家さんの販路のお手伝いなどもしていた。
 
ご夫婦でお子さん3人をホームスクーリングし、
慎ましく、でも自分たちらしく、
ご夫婦で楽しそうに暮らしていた。

 

彼が出版した「kototoi」という季刊誌で
連載の機会もいただいていた。
 
それらのことは、
 
 
 

にて彼のナリワイや暮らしぶりを書かせてもらった。

 

 

訃報を知り、

昨晩遅くにお連れ合いさんにお電話させてもらった。

菊谷さんが、どう過ごされ、どう亡くなられたのか。

 

彼女の声は意外にも元気で朗らかだった。

きっと悲しみにあるだろうが2ヶ月を経ているからか、

久しぶりに彼女とも話すこともあって、

終始笑みで語ってくれた。

 

最後の晩、

何事もなく、

いつものようにご家族で揃って和やかに夕飯を食べ、

お茶をして語らい、

そろそろ寝ようかと言って立ち上がると同時に、

突然に塞ぎ込んだという。

 

救急車を呼んだが、

そのまま帰らぬ人になったと。

 

まだお子さんたちの成人までは先があるものの、

「子育てにたくさんの時間をあて、やり切った」

「編集という仕事もやり切って満足」

「自分の本を書くこともやり切った」

と日頃から話していたという。

 

短い人生であったし、

心のうちで様々な悩みも抱えていたかもしれない。

しかし、

ハードなサラリーマンを経て自立し、

自分が発したいことを発し、

愛する家族を愛しきり、

子育てに存分な時間をあて、

それらをやり切った、満足、と語っていたことからすると、

素晴らしい逝き方だったのかもしれない。

 

 

私にたくさんの影響を与えてくださり、

そしてリスペクトする辻信一さんが、

菊谷さんのことを数日前のブログで書いてくださった。

 

辻さんの美しい文章、

菊谷さんの話から始まって展開される深いメッセージ、

そのブログを、

ぜひお読みいただきたい。

 

 

菊谷さんは天国でこれを読んで、

喜んでいるだろう。

お連れ合いさんにも昨晩お伝えし、

喜んでくれた。

 

 

そして、、、

菊谷さんと一緒に企画した

不登校でもちゃんと大人になった面々と

「ミスターゆとり教育」寺脇研さんとのトークイベントの映像

(今、一緒に匝瑳で活動している齊藤超さんや、

   山本太郎氏の秘書を務める吉度模彌さんと一緒にトーク)

 

 

及び、

菊谷さんが企画とファシリをしてくれて、

新宿紀伊國屋で藤村靖之さんと私でトークした映像

 

 

お役に立てたら幸いだし、

菊谷さんも空から微笑んでくれるだろう(^^)。

 

 

 
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     髙坂勝の著書
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以下の本の3章と4章で髙坂も、
平田オリザさんと藻谷浩介さんに混じって鼎談しています

 

 

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