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朝日新聞で
アフガニスタンの砂漠を緑と畑に変えた
故・中村哲さんの特集をしている。
 
中村さんは、日本が一番誇っていい人物だと思う。
俺もずっと尊敬してきた。
 
記事に、
中村さんを愛した現地の治安当局の方の話が出てくる。
その言葉群だけ抜粋する。
 
 
東部一帯でドクター・ナカムラのことを知らない人はいません。事業のインパクトは驚くべきもので、
かつて砂と岩だらけだった土地が緑の大地に姿を変えました。木々が茂り、花が咲き、野菜が取れるようになりました。
どれだけの家族や農場が救われたことか。
モノだけではありません。
ヒトの意識にも変革をもたらしました。
地元の材料で、地元の人たちが、
自らの暮らしを変えていけるということを
気づかせてくれたのです。
 
 
事件前に直接、
ドクター・ナカムラに『気をつけてほしい』と
お願いしたことがありましたが、
ドクター・ナカムラは
『自分はアフガニスタンの人々のために
   働いているのだから大丈夫だ』
と事業継続への意欲を示しました。
アフガニスタンに対する彼の愛は、
それほど深いものでした。
 
 
ドクター・ナカムラは厳しい警備を好みませんでした。
現地生活が長く、
アフガニスタンの人々のことを深く理解し、土
地に精通し、
地元の言葉を話していました。
自分に危害を加える者はアフガニスタンにいないと
信じていたのです。
その考えは正しかったのですが、
実際に起こったことは想定を超えていました。
脅威はアフガニスタンの中でなく、
外からやってきたのです。
 
 
動機は明白です。
ドクター・ナカムラの灌漑事業は、
クナール川の水を分岐させ、
利用する事業です。
この地域では水や川に関わる者には危険がつきまといます。
クナール川の下流に位置する隣国にとっては
(流量が減る恐れがあるので)機微に触れる問題だからです。
隣国(の治安機関)がアミール・ナワズのグループを利用し、
殺害計画を実行したと我々は見ています。
 
 
実名で語ることにはリスクがともないます。
それでも私は一人の人間として、
記録を残す務めを果たしたいと思い、話すことにしました。
ドクター・ナカムラの身に何が起きたのかを、
ドクター・ナカムラに対して地元の人たちが
どれだけ感謝しているかを、
アフガニスタンを長く支援してくれた日本の人たちに
伝えたいからです。
 
 
読んでいて目頭が熱くなる。
 
中村さん、ありがとう!
 
 
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     髙坂勝の著書 

 

 

以下の本の3章と4章で 髙坂も
平田オリザさんと藻谷浩介さんに混じって鼎談しています。
 
以下の本の第6章全体で、
髙坂/タマツキ/移住者のことを取り上げてくれています。

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