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元旦に読み終えた本がある。
 
 
読んで、改めて、
その内容にかなり到達できている自らに満足感があるものの、
サテュシュ氏曰く、到達点はない、と!
生きることそのものが巡礼のようなもの、と。
 
さて、冒頭、こうある。
 
あなたはこう問う必要がある。
どうすれば人生をシンプルにできるか、と。
 
 
8年前、
この偉大なる著者サティシュ・クマールさんと
一緒に登壇したことがある。
 
映像が残っていた!
(18分30過ぎから)

 

 

 

今思い返すと、
サティシュさんに自らが歩んできたアウトプットや活動を
認められたような嬉しさがある。
そしてシンプルに生きる素晴らしさに、
少なからず影響を受けていると思う。
 
彼はどんな難しい話でも
すごくシンプルにわかりやすくトークする。
 
訳者はこれまた尊敬する辻信一さんだから、
尚更読みやすい内容になっている。
 
サティシュのトーク、辻さんの訳、
このコンビの圧倒されるライブ映像を一つご覧いただきたい。
ユーモアたっぷりで会場が沸いている。

 

 

 
さて、いくつかサティシュ氏のこの本から
言葉をピックアップしてみる。
 
 
モノが余計にない、簡素でスッキリした生き方をすることは、
快適な生活を諦めることではない。
「美」は所有するものを最小化し、
同時に心地よさを最大化することの中に内在している。
過剰は混乱を、簡素は清澄(せいちょう)を生む。
 
日本の「わびさび」は、
飾り気がない 気取らない 謙虚 ありのままで手が混んでない
 
優美は余計なものが全て削ぎ落とされたときに現れる

計画を立てる代わりにビジョンを持とう。

ビジョンがあれば、計画は立ち現れる。
最小の計画と最大の即興、それがシンプルライフだ。
足を知るものは充分すぎるほど与えられる

まずは大量生産・大量消費から遠ざかろう

この世は万人の必要を満たすには充分だが、

誰の欲望も満たすことはできない

インドでは64の生きるアートがある、Arts of living。
寝床を整える、体を洗う、体を飾る、カーマスートラ(性交)、家族の世話、火を起こすこと、祈祷、呼吸、瞑想、歌、踊り、

絵画、家を建てること、家具を作ること、料理、
作物を育てること、、、、。

職を探すのでなく、自分で仕事を、自分の生き方をつくる。

経済危機、環境危機、温暖化、資源枯渇、

なぜこうした危機に見舞われるのか、
それはエコロジーのないエコノミーで
前に進もうとしてきたからだ。

現在の経済は、

自然から資源を取り出し、使い、ゴミとして廃棄する。
しかし、自然界にゴミと言うものはない。
季節は巡り、地球は回転し、
自然は輪を描きながら循環してゆく。

ラーニング・バイ・ドゥーイング(することによって学こと)
Head Heart Hands の三つのHの調和で学ぶ、

知識と経験が出会うところにこそ知恵が生まれる。

簡単なやり方が、いいやり方だ。

もう充分と知れば満たされている。

充分を知らなければいつまでも満たされることはない。

最初に謝るのがもっとも勇敢な人
最初に許すのがもっとも強い人
最初に忘れるのがもっとも幸せな人

許しは過去を変えはしないが、未来を変える

土はラテン語でフムス。

このフムスが語源になって
ヒューマン(人間)とヒューミリティー(謙虚)。
「私はヒューマン・ビーイング(人間)です」と言えば、
「私は土の存在です」と同じだ。
土は常に謙虚だ。
常に足元にひれ伏していて、私たちより上に来ることはない。
土が謙虚であるように、人間も謙虚であるべきだ。
謙虚さを失うとき、私たちは人間性を失う。
土と一体になることが人間的であるためにもっとも大切だ。

意識やエネルギーのほとんどを

「持つこと」に費やしているのに、
ただ自分自身で「あること」に費やす時間がないとは!
 
私たちは体を動かす活動を通じて、幸せを感じる。
身体活動という道を通って、私たちは魂に至る。
このようにボディとソウルは互いを支え、
助け合うことで幸せを見出す。

ヒューマンスケールの社会が必要だ。

人間らしいスケールを持つ社会を作る必要がある。
ガンディーは
地域分散型の、村落単位の小規模ローカル経済を重要視した。
小さな共同体であるからこそ、
顔の見える親しい関係で繋がり、
互いに世話をやける。

自然界では動物も森も不正に苦しむことはない。

全てが自然という仕組みの中で
食べ物を、水を、住処を得ている。
動物界には首相も大統領も財務大臣もいない。
国会も裁判所も監獄もないし、戦争もない。
自ずと組織され運営される、まさに自然の仕組み。
満腹の虎は他の生き物に構わず、寝る。
鹿が横を通り過ぎても放っておく。
狩は食べる分だけで、冷蔵庫に入れておくためではない。
虎のコミュニティーには貪欲という言葉はないのだ。
なのに人間社会はどうだろう。
誰にでも食べ物と住処があるようにはデザインされていない。
多くの人が空腹で、住む場所もなく、
飲み水もない暮らしをする一方、
食べ物を無駄にして、
着れないほどの服を溜め込んでいる人たちがいる。
金持ちはいくつもの家を空き家のままにしておき、
貧乏人には住む家もない。
今こそホリスティックなビジョンを掲げなければならない。
経済、社会、政治をデザインし直すのだ。
贅沢な暮らしが無駄を、環境汚染を、貧困を産む。
だからシンプルライフは社会正義への態度表明でもある。
シンプルに生きる、そうすれば他の人々も生きられる。
 
思考をシンプルにして、心の中を簡素にすることが、
物質的なモノへの欲望を減らすことにつながる。
逆説的に見えるかも知れないが、
シンプルな生き方が与えてくれるものは、
あふれる豊かさなのだ。
 
シンプリシティとは、
心を込めて、
マイインドフルネスに生きるということだ

シンプルであるということが、持続可能性への道

どうしたらシンプルライフになれるか?
くる日もくる日もただ、自分の心の、思考の、言葉の、

感情の、行動の、食事の、着るものの、住まいの、意図の、
そして人間関係のシンプルさに気を配るようにする。
それは最終目的地のない、一生を通じての作業。
エレガント・シンプリシティーは
巡礼という思想に根付いている。
シンプルな心が、シンプルな暮らしをしっかり支える。

計画へのこだわりや囚われから自由になること、

そこに不思議なエネルギーが生じるのだ。
物事が自ずからやってくるに任せる。
そうすれば奇跡さえ起きうる。

巡礼の本当の意味は、

執着、習慣、偏見、などから自由に生きることに他ならない。
行為の果実を求めることなく行為せよ。
生は終わりのない旅だ。ゴールも目的地もない。
だからこそ自分が何かを行うときも、
それがどういう結果をもたらすかにとらわれるべきではない。
その行いそのものに焦点を絞る方がいい。

オートメーション、商業主義、ロボット主導システムなどとは

距離をおこう。
そして魂のこもった手作りという理想を持とう。

先住民の文化ではアートは趣味でもないし贅沢でもない。

それは日常生活だ。そして人生になくてはならない要素だ。

心を込めて作る過程は、瞑想に通じる。

仕事に打ち込んでいるその瞬間、
心はかけることなく、そこにある。

全ては土から来る。

森、食べ物、家、服は土から生まれる。
私たちの体は土から来て、そして土へ還る。
土は命の源だ。

現実離れした理想主義と呼ばれるかも知れない。

なら、あなたに尋ねたい。
「では現実主義者達は何を実現しただろう。
         戦争、貧困、気候変動?」
そして世界を危機へと導いてきた現実主義者に代わって、
いよいよ理想主義者の出番がきた。

 

 
 
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1月29日(土)
植栽調え・竹垣作り・大地再生・DIYなど
そんな内容のワークショップを開催予定です。
日程開けておいてくださいね(^^(
 
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     髙坂勝の著書 

 

 

以下の本の3章と4章で 髙坂も
平田オリザさんと藻谷浩介さんに混じって鼎談しています。
 
以下の本の第6章全体で、
髙坂/タマツキ/移住者のことを取り上げてくれています。

 

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