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昨日、田んぼ仲間からメールが。
中村哲さんが亡くなったと!
 
↑中村さんの日本での2015年の講演記録より
すぐにFBにこう書きました。
 
すごくショックです。
ペシャワール会の中村哲さんが銃撃で亡くなられたと。
つい先日まで帰国してたのに!
 
先週も sosa project の田んぼ一年生の皆さんに
スコップ一本でも
大地や土地を健全に再生できる話をプレゼンした際、
中村哲さんの活動の素晴らしい実践の一部を紹介したのに! 
 
日本で世界に誇る一番の人であること、
絶対間違いない方だった!
 
混乱と戦乱のアフガニスタン砂漠を、
土木で自らの手足と知恵と汗で立ち向かった医師。
 
飢餓で食料対立の土地を緑に変え、平和に変えた。
俺にたくさんの影響や英知や指針を与えてくれました。
 
中村さんならきっと、
彼を襲った武装勢力すらも責めずに、
原因は先進国の責任、
石油や利権や経済成長に群がる私たち自身に向けたであろう。
 
ご冥福を祈ります、ありがとう、中村哲さん!!!
 
 
本当に悲しい。
 
以下の映像をご覧ください。

 

 

砂漠を緑や畑に変えた変化の写真や、

灌漑用水や石積と柳の用水路などの写真も、

ちらっと出てきます。

 

低地を流れる水を高地に分水迂回させて、
用水路は石組みにして、
石を根っこで掴む柳を植えたんです。
 
だから崩れにくくなる。
江戸や戦国の時代の文献から研究してアフガンで応用したと。
 
用水路に流す水が石垣の隙間や植えた柳の根っこなどを通じて
乾いた土にじわじわと染みて
地下水脈を広げてゆくようにして、
より低地へ、より低地へと、土が潤うようにしていった。
そして、とうとう砂漠を緑と畑に変え、
65万人の食料が作れるようにした。
 
アメリカとソ連の侵攻でズタズタにされて
温暖化で干ばつ地や砂漠が増え、
部族や集落が食べ物を奪い合う紛争地を、
説得し、後ろ姿で見せ、
地元の人たちが徐々に彼を信じて動き出し、
敵同士だった人たちがスコップや鍬で共働し始めていって、
とうとう用水路を完成させ、
砂漠を緑と畑に変えた。
 
用水路完成後、たくさんの木を植えていった。
そして、
争い絶えなかった地を
平和で互いに協力し支え合う地域に作っり変えた。
 
中村さんが言うのは
「現地の人が自給自足できる農業ができるようにすることが
  本当の支援」
と。
 
今の SOSA PROJECT の米作りにつながる知恵を
くださったんです。
 
そして憲法9条の必要性や政治への批判も物静かに、
しかし力強く言い続けてきました。
 
そのインタビューをぜひ読んでください。
 

 

 

 

 

 

 

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