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下に記すのは、

環境活動家の辻信一さんから届いた、

韓国の大学生の宣言文です。

韓国は経済成長著しいのですが、

その一方で格差が広がり、

学生たちはゴールの無い競争を強いられています。

日本も同じじゃない?

世界経済も!

終わりの無い、

同じ方向めがけて 「 経済成長 」 というゴールに走らされている。

もうトラックを降りよう。

システムから少しづつ部分離脱していこう。

ダウンシフトしよう。

そう思うのは、私だけではないはずです(^^)

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高麗大学拒否

今日、私は大学を辞める。いや、拒否する。

今日、私は大学を辞める。

G世代 

( “Green”と“Global”の頭文字をとって、
健康的で積極的であることに加え、
国際化時代をポジティブに生きる洗練されたイメージの

若い世代を指す)

として輝くか、

88万ウォン世代

(経済学者のウ・ソクフンと社会運動家であるパク・クォンイルが出版した、
2007年のベストセラー「88万ウォン世代」に由来する。
IMF危機後の雇用環境の変化を背景に韓国では高学歴の非正規労働者が増加。
大卒・非正規労働者の平均月収88万ウォン(7万円程度)が
否定的な意味で現代韓国の若者の姿を象徴する代名詞となった。)

として借金返済に追われるか。

その両極化の隙間で不安な綱渡りをする20代。

何となくうまくいっていないように感じるけれど、
どうすることもできない不安と挫折感のために、
前だけを見て走らなければならない20代。

その20代の真っただ中で
道はこれしかないんだという最後に残った信念で。

ここからは私の話をはじめよう。

これは私の話だが、私だけの話ではないはずだ。

私は25年間、競走馬のように長く長いトラックを疾走してきた。
優秀な競走馬として、共にトラックを疾走する
無数の友人を蹴散らし、それを喜びながら。

私を追い越して走ってゆく友人たちのために不安に陥りながら。

そうしていわゆる“名門大入学”という初めての関門を通過した。

ところがどうだろう。もう幾ら激しく鞭を打っても
足の力は抜け、胸が弾むこともない。

いま私は立ち止り、この競走トラックをみつめている。

その終わりに何があるのだろう。

“就職”という2つ目の関門を通過させてくれる資格証明書の包みが見える。
あなたの資格よりも私のそれが優れていて
また別のあなたの資格に比べて、私の資格は無力で
そうして新たな資格取得を目指す競走がまた始まるだろう。

ようやく、私は気付いた。

私が走っているここは、終わりのないトラックであることを。

先の方を走っていても、永遠に草原には到達できないトラックであることを。

では、私の敵の話を始めよう。

これもまた、私の敵であると同時に私だけの敵ではないはずだ。

名前だけが残った“資格ビジネスのブローカー”となった大学、
それが、この時代の大学の真実であることに向かい合っている。

大学はグローバル資本と大企業へ最も効率的に
“部品”を供給する下請け業者となり、私の額にバーコードを刻みつける。

国家はさらに大学の下請け業者になり、
義務教育という名前で12年間規格化された人間製品をつくり、送り出す。

企業はより高い価格表を持つ者だけがピラミッドの上部に接近できるよう
あらゆる新たな資格を要求する。

この変化の速い時代の10年をただ無駄にすることができず
古びてしまった私たちはさらに大学院へ、留学へ、専門課程へと突入する。

高費用、低収益の悪循環はいつまでも終わらない。

“世界を舞台に、あなたの能力のように自由であれ”は
国際化、民主化、個人化を満喫する自由の時代は、
間もなく資格の時代になってしまった。

卒業証書すらない人生に何ができるのか?
資格すらない人生に何ができるのか?

学習された恐れと不安は再び私たちをその前で跪かせる。

考える間も、振り返る間も与えるものかというように、
また違う偽りの希望が迫ってくる。

教育が問題だ、大学が問題だと話す思慮ある人々でさえ、私たちにこう言う。

「成功して世の中を変える「統治者」になれ」
「お前がしたいことをしろ、私はお前を応援する」
「お前たちの権利を主張しろ。そこらの石でも携えて出ていけ」

そして、刃のように付け加えられる一節、「でも、大学は出ないと」。

その結果が何であるのかを、みんな知っていながら。

大きな学びも大きな問いもない、“大学”のない大学で、
私は誰なのか、なぜ生きるのか、何が真理なのか問うことはできなかった。

友情も浪漫も師弟間の信頼も見つけることはできなかった。
最も純粋な時期、不義に対する抵抗も夢見ることさえできなかった。

いや、こんなことは忘れて久しくなっても構わない。
しかし、このすべてを放棄して身を捧げ、
帰ってきた結果は本当に何だったのか。

私たち20代は、終わりのない投資にも関わらず収益が出ない
“赤字世代”となり、両親に申し訳ない。

若いくせに自らの手で飯の種さえ確保できず、無力だ。
20代になっても私が何をしたいのかわからず、
夢を探すのが夢だからやりきれない。

このままいつまで追いかけなければならないのか、
不安しかない私たち若者がもの悲しい。

私は大学と企業と国家、
そして大学で答えを見つけろという彼らの大きな責任を問う。

深い怒りで。

けれども同時に彼らを維持する者となった私の小さな責任を問う。
深い悲しみで。

“勉強さえよく出来れば”すべては許され、
競争で勝つ能力だけを育て、私を高価格の商品に加工してきた
私が、体制を支えていたことを告白するしかない。

この時代に最も偽悪なことのうちのひとつが卒業証書人生の私、
私自身であることを告白するしかない。

そして、今日私は大学を辞める。いや、拒否する。

さらに多く積み重なるだけ積み重なり、
私の人生が一度も花咲くことなくしぼんでしまう前に。

どうしようもない商品として選り抜かれることなく、
どうしようもない人間の道を選択するために。

いま、私にはこれらを所有する自由よりも、
これらからの自由の方が必要だ。

自由の大家として私は道を失うだろうし、
挑戦にぶち当たるだろうし、傷を負うだろう。

しかし、それだけの人生だから、
人生の目的である人生そのものを今すぐ生きるため

私は脱走し、抵抗しようとする。

考えた通りに話し、話した通りに行動し、
行動した通りに生きてやろうと勇気を出す。

学費を用意するために辛い労働をされている両親が目の前をさえぎる。

“ごめんなさい。
この機を逃したら一生私を探せず生きていくしかなさそうなのです”

多くの言葉を涙で呑み、
春が訪れる空に向かって、深く、大きく深呼吸する。

いま、大学と資本というこの巨大な塔から、
小石のかけらのような私が離脱する。

塔はびくともしないだろう。

だが、小さくともひび割れは始まった。

同時に大学を捨て、
真っ当な大学生の第一歩を踏み出すひとりの人間が生まれる。

私が拒否したモノたちとの次なる闘いを前に私は言う。

そうだ、「誰がより強いのかはもう少し先に判断することだ。」

2010年3月10日 キム・イェスル

高麗大学経営学科の退学に際して

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