当店「たまにはTSUKIでも眺めましょ」、
本日6日より営業いたします。
今年から日曜日・月曜日を定休とさせて頂きます。
新年、おめでとうございます。
東京は、快晴続きで暖かい毎日でした。
今年も、よろしくお願いします。
さてさて、今年最初のブログですから楽しいことを書きたいけど、
やっぱり、辛いことを書くことに決めました。
パレスチナのこと。
派遣切りの現実のこと。
快晴続きでも、心の底で、晴れ渡ることの無い正月でした。
派遣のことについては、ことある度に書いてゆきます。
暫くは、パレスチナについて書いてゆきます。
今から9年前の脱サラしたころ、
パレスチナに行ったことがあります。
ピースボートの地球一周の旅で、
イスラエル・パレスチナに一日寄港したのです。
私達200人は、
近代型大型バスに乗ってパレスチナ内の難民キャンプに向かいました。
イスラエルからパレスチナ自治区に入るには検問があります。
その日、検問では、ツーリストが通るのを認めないということなので
(外国人にパレスチナへの虐待や現実を見せないようにするため)
その検問所をあきらめて移動し、
イスラエル兵の監視が居ない封鎖されたゲートを、
バスを降りて徒歩で土塁を乗り越えてパレスチナ自治区に入りました。
パレスチナの自治区側で、
小型バス(ぼろぼろ)を何台も用意してくれて移動が可能になりました。
イスラエルは私達日本と変わらない先進国で綺麗ですが、
パレスチナに入ったとたん、そこはゲットーになります。
この格差にビックリしました。
イスラエルの国内にパレスチナという貧困を作り上げて、
彼らを虐待しているのは明らか。
私達がパレスチナを目指した理由は、
招待してくれる小学校で平和をテーマにしたダンスを踊るためでした。
そのダンスのストーリーは、
近所同士だった親友が、やがて民族が違うことが理由で
それぞれの側の軍隊に入る。
最後、お互いが殺しあうに至ったとき、
もうひとりの親友である女性が、間に入って死ぬ。
闘いあった二人は、互いに自分を責め愚かさに気付き、
そして手を繋ぎあう・・・・・
そんな流れの物語を30分かけて
50人でハードにダンスで表現したのでした。
私達のダンスの後、パレスチナの小学生達が芝居をしてくれました。
その芝居のストーリーは・・・
彼らは無抵抗で平和を望み対話を望むのに
父母兄、近所の人や大人たちがイスラエル兵にどんどん殺されてゆく。
もうこれ以上我慢できないところまで追い詰められて、
ひとりの少年が立ち上がりイスラエルに石を投げる。
すると機関銃で殺される。
また、ひとりが立ち上がって石を投げる。
するとまた、機関銃で打たれて死ぬ。
そうやって、みんな、倒れて死んでゆく・・・・
というものでした。
私は、恥ずかしかった。
自分たちの表現が、なんと薄っぺらいか。
パレスチナとイスラエルの歴史も現状も、何も知らないでいた。
それがきっかけで、
イスラエル・パレスチナ問題を少しづつ探っていったのでした。
ちなみに、その小学校には、銃跡がたくさんありました。
なぜ、小学校を狙うのか・・・・・
その当時も、夜になると単発的に攻撃が行われていました。
夕方、小学校での交流会は終っていなかったのですが、
パレスチナの関係者からもう危険だから急いで戻りなさいという勧告で、
みんな早足でバスに戻り、パレスチナ自治区から退出したのでした。
夜、私達が訪問していた地域に、ロケットが打ち込まれたと聞きました。
パレスチナの人々は、みんな笑顔。
絶望の中にあっても、訪問者である私達を
笑わせていました。
豊かなはずの日本人のほうが、いつも不幸な顔をしている。
帰国後、気付いたことでした。
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