千葉県の匝瑳市北部に位置する「豊和(とよわ)」。
その中に、
大寺・内山・飯塚の三つの地区が隣り合って暮らしてきました。
大寺地区と内山地区。
昨今、思いがけない変化が生まれています。
300人を超える都会の人たちがココに通うようになったのです。
自分の食べるお米を自給したいという想いを胸に、
東京から2時間以上かけてくるのです。
そして、何組もの人たちが移住してきました。
日本中に田んぼはあるのに、なぜココに?
山に囲まれた谷津田をそよぐ風。
広い空に拝める太陽と月。
生き物たちがいのちを謳歌する声。
冗談とお裾分けが行き交う懐かしい集落。
高いビル、派手な光、人口の音、それらがないという穏やかさ。
当たり前のものは、当たり前でなかったのです。
何もないと思っていたココには、
暮らしている人には気づかない何かがありました。
今、
ココに住みつづけてきた人たちが、
移住してきた人たちを包み込み、
ともに汗を流しています。
田舎と都会が掛け合わさって、
調和の色へ滲(にじ)んでゆくようです。
飯塚地区には、
山を切り崩して広い畑にした、
その名も「開畑」という丘陵地があります。
北海道の美瑛をイメージさせるような景観。
穏やかな緑と茶の丘陵線から立ち上がる
白い雲と青く広い空。
貫いてゆく道は
空と丘陵の境界線に吸い込まれて行きます。
爽やかな風が吹き抜け、
その清々しく気持ちよいこと。
けれどこの景観に、徐々に衰退の波が訪れました。
農家の高齢化、痩せた土、不法投棄などの理由により、
使われない農地が増えてきていました。
そこに今、
希望という変化が生まれ始めました。
「ソーラーシェアリング」です。
ソーラーシェアリングとは言葉のごとく、
太陽を分ちあうのです。
土と、電気と、シェアしあうのです。
畑の上の高いところに、
細長い太陽光パネルが隙間を開けて並びます。
隙間からたくさんのお日様が土まで届き、
作物を育み、土を豊かにします。
電気を売ったお金が、
地主さんと、耕す農家さんと、電気を作る人に巡ります。
関わる人の暮らしに必要な分が行き渡った後に残るお金は、
豊和地域の課題に使うことになりました。
子どもたちに、お年寄りに、農家になる人に、移住者に。
里山をキレイにしたり、汚れたところをキレイにしたり、
困っていることを元より良くしたり、
住まう人たちが笑顔になることに使うのです。
この先ずっと、
豊和が豊かな地域であり続けるために。
ココにどんな課題があるのか。
お年寄りから若い人やまだ見ぬ子どもたちに
何を残し、何を変えてゆけるのか。
そんなことを住まう人と関わる人で話し合い、
解決への道を歩み始めるための協議会。
それが「豊和村つくり協議会」です。
畑に注ぐ太陽の恵み。
1/4で、パネルを舞台に電気を奏で、
1/4で、土を舞台に作物が踊り、
1/4で、地域を舞台に人が笑い、
1/4で、未来を舞台に希望を紡ぎます。
1/4ずつ合わさって
「円」と「縁」が始まります。